どこかで音がした。それは本が落ちる音。

どこで間違ったのか、どこで迷ったのかは分からない。それでもただ確実にその音は響いた。

 

響いた音は世界に伝わり、残響となり世界を変える。きっとそれが始まりだったのだろう。

 

太陽の柔らかい光が肌を指す。

風が頬を撫でる。

それはそっと息を吹きかけられるようなとても優しい風だった。

彼女はそっと目を覚ます。それは長い長い人生をやっと終えたと思ったその後。途絶えた意識が再び目覚めるような感覚。彼女にとっては一度経験した事がある感覚。

「―・・・?」

彼女が目を覚まして辺りを見回すと、一面に緑が広がっていた。そこはまさに草原の丘と言える景色だった。ふと空を見上げると、キラキラと輝かしい光を放つ太陽が顔を出していた。その周りには当然の如く青空が広がっている。風が吹いていた。それはあまりにリアルで、自分の命はまだ残っているという錯覚に陥る程だった。

「・・・?・・・ワタシは・・・」

自分の手を見る。そして動かす。握り締めたり、開いたり。

「ワタシは殺されたはずだ。 暴走したサテラによって」

よろよろと立つ。そして指を軽くパチンとする。すると目の前にお洒落なテーブルと椅子、そしてティーセットが現れた。分かっていて指を鳴らした訳じゃない。何故だかそれができると本能で分かっていた。

「・・・なるほど。魂の世界か。ボルカニカに嫌な役を押し付けられたものだ。」

それだけで全てを理解できた彼女は疲れた素振りで、ため息をつきながら椅子に座り、カップに紅茶を淹れた。

「ベアトリスには変な契約をさせてしまったな。果たしてどんな待ち人を見つけるのか。」

湯気が出る紅茶をゆっくりと口に運ぶ。 口に紅茶がつき微かに濡れる唇。 彼女はその唇を指でなぞり、

「ああ、ワタシはどれだけ待てば良いだろう。 愛しい彼を。待つ意味などすでにない彼の事を」

偽物の青空に手を伸ばす。どれだけ知識を得ても、どれだけ強大な魔法を行使できても、それには届かない。それと同じように、彼女にとってこの偽物の青空すらもその手に収める事は到底叶わない事だった。

 

影が忍び寄る。 それは毎朝の日課。

「・・・すぅ、 すぅ・・・」

影は忍び寄る。気持ちよく眠る少年の枕元に。

「・・・グッッッッッモーニング、息子ォォ!!」

「にゃるらとほてぶ!!?」

すさまじい衝撃が少年を襲った。

「ごほっ・・・ぐ・・・くそっ・・・!油断した昨日は体調悪そうだったから今日はねぇと思ってた・・・」

少年は苦しそうに身体を起こしながら、そう呟く。

「ははは、甘いな。俺はな、体調不良なんざ日を跨げば治せるんだよ。ナメんな。」

そして少年の父親は、半裸で息子に四の字固めをかけながらそう返す。

「どうせなら可愛い女の子に起こされてぇよ。何で毎朝の目覚ましシステムが父ちゃんなんだよ。」

「ああ?何だ?発情期かこの野郎。お前に恋愛なんざ100年早いわ。」

「100年経ったら俺死んでるわ。」

「分からんぞ。どんな出会いがあるか分かんない。ふと過去にタイムスリップして、ふといきなり永遠の命を手に入れちゃったりな。」

「そんな異世界転生アニメみたいな事があればぜひ体験してみたいね!」

皮肉を言い合いながら、朝を迎える。これが少年の家の朝。何気無いいつもの朝。

「つーか、父ちゃんは、お母さん以外に好きな人いたのかよ。」

「あ?当たり前だろ。俺の初恋はな・・・それはもう燃えるような初恋だった。両想いでな、異世界を救おうと頑張ってみたりしたんだ。」

「はぁ?意味分かんねーよ。異世界って時点で聞く価値ねーわ」

「それは・・・蝶の髪飾りがよく似合う女の子だった・・・」

父親は、目を閉じ回想に入ろうとする。

「いや回想には行かせねーよ!? 中学遅れるわ!今日から中学生活初めてのゴールデンウィーク明けだぞ!?失敗したらクラスで浮いちまう」

と言いながら少年は、ベッドから立ち上がり父親を置き去りにして部屋を出た。急いで部屋を出る息子を見送りながら残された父親は言葉を続けた。

「・・・俺の初恋はな、それはもう透き通るような白い肌と、吸い込まれそうな黒髪の美女だったのさ。昴。」

と息子の部屋から窓を開け、青空を眺める。そして手を伸ばす。その父親が高校生の頃、同じような青空の下の出来事だった。

 

 

黒蝶の願い

 

 

「おい、賢一!お前、また校舎のガラス割りやがって!!」

といかにも体育教師です!という雰囲気を纏ったジャージ姿の教師に少年・賢一は怒られていた。

「すんませーん!もうしませーん!」

話半分、謝罪心半分に賢一は謝罪し、それが更に教師の怒りに油を注いでいた。そしてかれこれ30分ほど説教を喰らった後、賢一がクラスに戻ると、

「大丈夫だったかい? 賢一。」

黒髪の少女が話しかけてくる。

「おう、悪いな、あかり。」

「さっきの様子だと君は窓ガラスを割った事をあまり反省はしていないようだね?」

黒髪の少女・あかりはくすくす笑いながら賢一にそう言った。

「だってわざと割った訳じゃないしな・・・ってかあかりと話してる途中だったよな?何の話だっけ?」

「全く、君は人が悪いな。放課後、私の用事に付き合ってくれるかい?という話だよ。」

やけに形作られた話し方をする少女・あかりは、賢一のクラスメイトであった。白い蝶の髪飾りが特徴的、透き通るような肌と吸い込まれそうな黒い髪がとても美しく、顔の造形も整っており、クラス一の美少女と言われ、男子には人気があった。しかしそれとは裏腹にミステリアスな雰囲気もあり、悪く言えば変人と言われる種別になるようで彼女と仲良くできる人はなかなかいなかった。

あかり自身も交通事故で両親を失っており、高校生にして一人で生活しており自分から誰かに積極的に話して仲良くなる程の余裕はなかった。そんな中、そう言った相手の心の闇などお構いなしにズカズカと遠慮なく話しかけたのが始まりで、結果仲良くなったのが賢一であった。

「あ、そうそう。確か図書館だよな。」

「そう!!図書館。どうしても調べたい事があってね」

「あかりはモノ好きだなぁ。」

「知る事ができる事は全て知りたい。知っていて損はないだろう?」

「知ってしまってげんなりする事もあるよねって話。」

あかりはやれやれと言った感じ、 賢一の前の席に腰かけ、

「でも知らなくて受ける損害の方が大きいと私は思うが?」

と、賢一に反論した。

 

「・・・まぁそうだな。 知らなくて恥かく方が何か嫌だし。」

「ふふふ、だろう?そういう事さ。図書館は知識の宝庫。しかも無料。素晴らしい場所だと思わなかい?」

あかりは目を輝かせながらそう言った。

「で、俺がついていく意味は?」

「図書カード1枚で1度に借りられる本は7冊まで。 私が借りたい本は10冊。」

「なるほどな。」

賢一は素直に納得し、それ以上は質問しなかった。ちょうど始業のチャイムが鳴り午後の授業が始まった所だった。

あかりは知識欲が強く、何にでも興味を示し、それを理解するまで研究する。 賢一は好奇心が強く、そんなあかりを興味深いと思っていた。そんな利害ではない何かが二人の間で一致し、妙に馬が合ったのだ。

「異世界か・・・」

図書館にて本を読みながら、 賢一が呟いた。

「何だい?賢一。異世界に興味が?」

「男なら誰でも興味あるだろ。ここじゃないどこか・・・行ってみてぇよ。」

賢一が異世界について書かれたSF本を見ながら男のロマンに想いを馳せる。

「ふむ、パラレルワールドなら私も信じているよ。」

あかりがそんな賢一の読む本を横からスッと取り、賢一の視線を自分に向けさせてからそう返した。

「パラレルワールド?」

「そう。あらゆる分岐点から派生した別の世界さ。 例えば二つの道があるとする。それを仮にAとBの道としよう。」

あかりが右手と左手の人差し指を立てながら、

「君はどちらを選ぶ?」

「じゃあAで」

賢一は即答する。

「ふふ、即断即決。 気持ちの良い事だね」

「俺は迷わない男だ。」

胸を張りながらそう言う賢一を華麗にスルーし、あかりは説明を続ける。

「ここで分岐だ。賢一がAを選ぶルートとBを選ぶルートだ。ここで世界は分岐する。君はAを選んだ・・・それを正規ルートとしよう。でもBを選ぶ可能性だってあるはずだ。情報がどちらもない状態だからどちらのルートにメリットがあるかなんて分からないからね。もし君がBを選んだら?・・・そのもしもによって生まれた世界がパラレルワールドさ。」

「聞いた事あるな。タイムパラドックスってヤツだろ?」

「そう!さすが賢一、博識だね」

あかりは目を輝かせながら、

「もしタイムマシンが存在するとして、君が過去に言って、君の親を殺したとする。なら今の君は生まれないだろう?でも君が生まれないなら、過去に戻って親を殺す君もいなくなる訳だ。矛盾が生じる。だからこそのパラレルワールドだ。君が過去に戻って親を殺した瞬間に君が生まれないルートの世界が生まれる。よって今の君には影響を及ぼさない。」

「何かご都合主義だな。自分にとって良いトコ取りって言うか・・・」

「あはは、そうだね。いかにも人間が考えそうな事だ。そもそもタイムマシンが存在するという前提自体が傲慢だよね。」

あかりが賢一から取ったSF本を棚にしまいながら笑う。

「でもその傲慢さ、私は嫌いじゃない。あらゆる可能性を思索するのはきっと素晴らしい事だからね。」

と会話を締めた。その後、二人で雑談をしながら本を見て周る。荷物係の賢一の腕にはどんどん本が積まれていく。

「重い・・・」

賢一が10冊の本を持ちながらそう呟く。

「いやだから私が半分持つよ」

「いや俺が持つ。女の子にこんな重いモンを持たせられるか。」

「それなら重いって言わないでくれるかな?何か申し訳ない気持ちになるから。それにね、医学的に人間は、自分の体重なら支えられるようになっているから、本10冊程度の重さなら難なく持てるはずだよ。それに・・・」

「あー分かった、分かった。黙って持つよ。」

これもいつも通りの事だった。あかりは喋り出すと止まらない。お喋りという訳ではないが、彼女曰く単純に自分の持つ知識を誰かに語って聞かせるのが楽しいそうだ。「悪く言えば知識の押し付けだけどね」と自身でその欠点も理解しているようだ。

「そうだ、賢一。駅前にお洒落なカフェができたんだ。紅茶が美味しいそうだよ。寄っていかないかい?」

図書館を出て、前を歩くあかりがくるっと後ろを歩く賢一の方を振り返り、

「え、別に良いけど。カフェとかあんまし行かねぇから、何か恥ずかしいな。」

と袋にも入れず10冊の本を腕に抱えたまま賢一は顔を赤くしてそう答える。そして、あかりは後ろ向きで歩きながら、

「構わないさ。恥ずかしくないように私が紅茶の作法をしっかり教えてあげるよ。それにそこのカフェは紅茶だけじゃない・・・ミートパイも美味しいんだ」

と自慢げにそう返した。

「ミートパイか、お前好きだよな。学校でもよく食ってる」

そう言う賢一に笑いながらあかりは、

「ふふ、よく観察しているじゃないか。登校中に朝開店したてのパン屋に寄って買っているのさ。とにかく!カフェは別に誰でも行く権利がある。君とて例外ではない。」

「それは嬉しいけど・・・うお・・・本が・・・」

賢一は腕に持った本の1冊が滑り落ちる。あかりはそのまま後ろ向きに歩く。目の前の横断歩道が赤信号だと気づかずに。

「借り物だから、落として傷つけないようにね?」

「分かってるよ。」

本を拾う賢一は周りが見えておらず、そんな賢一を見るあかりもまた周りが見えておらず・・・落ちた本を手に取り、ふとあかりの方を賢一が向いた時、

「・・・!!・・・あかり!」

クラクションが鳴った。大きなトラックの轟音と共に。

「・・・?」

賢一は本を全て投げ出して、咄嗟にあかりを抱きしめる。クラクションが耳を劈くように鳴り響きその後、何かが何かにぶつかったような大きな音がして、次の瞬間・・・賢一に抱きしめられた微かな温もりを自身の身体に感じながら、あかりの瞳には青空が映った。

そして・・・

 

「―・・・―・・・」

沈黙の中、目を開ける。眼前には真っ白な世界が広がっていた。あかりはそこに一人佇んでいた。

「ここは・・・?」

「ここは生と死の狭間。」

ふと声が聞こえた。

「・・・!?・・・誰だい・・・!?」

「私は世界の意志。いやオド・ラグナと名乗った方が通りは良いかな?」

そこに真っ白い服を着た小さな女の子が立っていた。髪の毛は銀色。目は紫紺。耳は何故か少しだけ長かった。

「・・・誰だい・・・?」

「え、私の事知らない?」

オド・ラグナと名乗った少女はあかりの返答に対し、少し驚いた素振りを見せた。

「知らない」

あかりは単調に答える。 未知の相手にも動じず話す事ができるのもあかりの長所である。

「知らないのかぁ。そうかぁ。こっちの世界はマナが少ないからあまり認知されていないのかなぁ・・・」

「私に何の用だい?」

意味の分からない独り言を言うオド・ラグナに、怪訝な顔をしながらあかりが問う。

「あ、そうそう。君、生き返りたいかい?」

その問いを受けて紫紺の瞳の少女は静かにそう質問した。

「生きかえ・・・そうだ、 私はトラックに轢かれて・・・」

「そう、君はトラックに轢かれた。赤信号、後ろ向きに歩く君。君の完全な不注意。トラックの運転手さんが不憫に思えるくらいに君の過失だ。それでもトラック側の方が悪くなってしまう法律があるのがこの国の悪い所だよねぇ」

「・・・賢一は・・・!?賢一はどうなった?私を抱きしめて、その後・・・」

オド・ラグナはため息をついて、

「落ち着きなよ。そんなに慌てるなんて・・・彼の事が大事なんだね?」

「当たり前だ!賢一は私の・・・!・・・私の・・・!・・・私の・・・」

途端、真っ白なあかりの顔が赤くなる。自覚はしたくない事だった。最初は鬱陶しいと思うくらいだった。毎日毎日話しかけてデリカシーのない男だと思っていた。でも話す内に、彼の人間性に触れる内に、いつの間にかあかりは彼に惹かれていたのだ。

「・・・青春だね。」

「うるさいな。それで・・・生き返りたいか?という質問をする以上、私は死んだんだね?」

「まぁ正確には死んでない。死んだのは君の彼氏の方。」

「か、かか彼氏・・・って死んだ!?」

あかりの顔が更に赤くなる。

「そっ。君を庇って、トラックに当たって。君は彼に抱きしめられていたから、重症は負ったけど大事には至らなかった。」

「・・・賢一・・・」

あかりの瞳から涙が溢れ出した。自分のせいだ、自分がしっかり周りを見ていれば・・・途方に暮れるあかりにふと銀髪の少女が、

「君たち二人とも救う方法があるよ。」

とそう言った。

「救う方法・・・?あるなら教えて欲しい」

「未知の私を信じるのかい?

「世界は未知で溢れている。少なくともこれが夢であっても、こんな夢を何の根拠もなく見る事はない。」

あかりは真っ直ぐにオド・ラグナを見る。彼女の紫紺の瞳にしっかりあかり自身の姿が映る。

「知識欲の権化のような子だね。君は。全く・・・強欲だ。」

「どう言ってもらっても構わないよ。私は賢一を救いたい。」

強い意志を込めて、あかりはそう言った。

「異世界に行ってもらう。そこで二人である存在を倒して欲しい。」

「・・・ある存在?」

「あ、異世界の方は気にしないんだ。」

「異世界・・・パラレルワールドくらいあると思っているからね。」

「まぁパラレルワールドという訳ではないけど。」

オド・ラグナがそう返す。対してあかりは、

「私の世界ではないなら何でも同じさ。で、その存在とは?」

と問う。その質問に対し、一定の沈黙を置いて、オド・ラグナは、

「・・・オド・ラグナ」

と一言、そう言った。

「は?」

「あ、私じゃないよ?私は君たちの世界のオド・ラグナ。倒して欲しいのは、君たちがこれから行く世界に君臨するオド ラグナ。」

「そもそもオド・ラグナって・・・」

それを受けて「こっちの世界」のオドラグナは、

「あ、そこ説明しないとね。オドラグナは世界の意志。世界を作った存在。」

「・・・つまり神かい?」

「いや神じゃない。神に頼まれて仕事をしてるって感じかな?でもさ、君たちがこれから行く世界のオド・ラグナは神の意志に反した。詳しくは言えないけど、このままじゃその世界は滅びる。しかも滅びた時の衝撃で私たちや他の異世界も滅びるかも知れないんだ。」

オド・ラグナが「やれやれとんだとばっちりだよね」と最後に付け加えた。それに対し、あかりはそこまで驚く様子もなく単調に聞き返す。

「だから私と賢一でその世界のオド・ラグナを倒して、世界を救えって事だね・・・しかし私も賢一もただの人間だ。最強の肉体も、最強の魔法も使えないよ?」

当然だった。あかりも賢一もただの人間。周りより変人である自覚はあるが、超常的な力が使える訳ではない。

「大丈夫。そこは私が少しプレゼントしてあげる。」

「プレゼント・・・」

「ただ賢一くんを生き返らす事には対価を頂くよ。別に生き返らせなくても良いんだけど。」

「対価・・・?」

「そう。もし途中で死んでしまった場合、生き返って元の世界に戻してあげるんだけどもその時、君は戻れない。賢一くんだけ元の世界に戻れる。つまり離れ離れになっちゃう。もちろんオド・ラグナを倒せたら君も元の世界に戻れる。」

あかりは沈黙する。そして思考する。そして・・・

「彼を生き返らせて欲しい」

とそう言った。

「良いの?もし途中で死んだ場合・・・」

「構わない。それでも異世界で死ぬまでは、私は彼と一緒にいられる。彼が生き返るなら、私は構わない」

「健気だね。」

とオド・ラグナがあかりに手をかざす。そして彼女の手が輝き出し、

「では君と賢一くんには異世界を救ってもらおう。そして君には魔導皇の加護を、 賢一くんには剣聖の加護を与えよう。いってらっしゃい。知識欲の権化さん。良き異世界生活を。」

「ちょっと待って!・・・それってどういう能力!?」

当然言われた特別な能力の名前を聞き出そうとするあかり。オド・ラグナは、にこっと笑って

「大丈夫、 すぐにそれを自覚できる。加護とはそういうものだから」

更に光は強くなり、次の瞬間、意識は途絶えて―・・・

 

「と言う事だ」

「いやいやいやいや、そう言われても、俺は信じられねぇよ!?」

事のあらすじを話したあかりに対して、 賢一は素直に思った事を返した。もちろん自分が賢一を好きだという所は省いているが。

「とは言っても、君。私たちが今いるこの場所を見れば分かるだろう?」

とあかりは景色を手で指す。あかりと賢一がいる場所は高い丘になっており、丘の下には大森林が広がっていた。

「さっき旅人らしき人がいたから尋ねたら、エリオール大森林と言うそうだよ。」

「はぁ・・・」

賢一は森林を眺めながらため息をついた。

「神みたいなヤツを倒せって言われてもな・・・剣聖の加護って言われても俺、剣も持ってないけど?」

「ふむ、確かに剣聖というから剣術に長けた能力なのだろうけど、剣がないと話にならないね。対して私は、魔導皇の加護・・・どうやら魔法に長けた能力のようだ。何か聞いた事ないのに呪文が勝手に頭に入ってる。例えば・・・アル・ゴーア!」

瞬間、炎が出現し空気中で大爆発を起こした。すさまじい爆風が起きて、大気が揺れた。

「うおっ!?」

「いやはや・・・これはすごいね。」

「いや今の威力、上級魔法レベルじゃね!?基準が分からないけど」

「どうだろう?何とも言えない・・・」

すさまじい爆風の余韻に震えながら、驚く賢一の問いに対してあかりはそう返した。

「とりあえずは街に向かおう。こんな所にいても、何も始まらないしね」

「だな。」

賢一は少し震えながら、そう答える。彼の震えに観察力のあるあかりが気づかない訳もなく、

「・・・怖いのかい?」

と心配そうにそう尋ねた。賢一はにやりと笑い、

「まさか。武者震いだよ。図書館で言ったろ?異世界とか男にとっちゃロマンの塊だって」

と胸を張ってそう言ったのだった。

「ふふ、頼もしい限りだよ。頑張ろうね」

「おう、お前は俺が守ってやるからな!」

そう言って、 賢一は大森林の遥か彼方。わずかに見える街並みを凝視して、 あかりに同意した。

「何か君の守ってやるってちょっと頼りない気もするんだよね・・・」

「え!?何で!?」

 

 

その後、あかりと賢一は異世界を旅する事になる。多くの苦難を乗り越え、勝利と敗北を積み重ね、気づけば最強という称号を手に入れていた。賢一もあかりも、どの団体にも属さずたった二人であらゆる悪を挫いてきた。 たくさんの命を助けてきた。そしてそんなある日・・・旅路の途中、たどり着いた村での出来事だった。

「エルフの村だって」

「エルフ!!」

賢一が目を輝かせる。エルフと言えばゲームや小説でも可愛い女の子がたくさんいると相場が決まっている。そんな事を想像しなら賢一が鼻の下を伸ばす。

「・・・」

あかりが黙って、賢一の耳を引っ張る。

「いたたたた!!ごめん!変な事考えてないよ!?」

「全く・・・」

二人でコントのようなやり取りをしていると、女性が二人に近づいてくる。

「あなた方が、剣聖さまと賢者さまですね。」

耳が長い女性は二人の所に寄ってくると、目を輝かせながら期待の声色を含めてそう言った。

「おうともよ!」

綺麗なエルフの女性に、賢一もまた目を輝かせながらそう応える。

「・・・」

あかりはそんな賢一を睨みつけながら、すぐに視線を女性に戻し、

「何やら村全体に不穏な空気が流れてるね。何かあったのかい?

と尋ねた。村全体が何かに怯えているような空気を出す。あかりの加護はそれを鋭く察知する。

「はい・・・10年前、族長の娘と人間が子供を産みまして・・・その生まれた子供がつい先日、村を襲った盗賊を全員倒したのです。」

「良い事じゃん」

賢一が呟く。

「はい・・ でもそのあまりの強さ故に村の皆は、その娘に怯えてしまって・・・それに加えてその子から溢れ出るマナがあまりにも強くて他の子供の体調不良を引き起こしてしまい、ついにはエルフの森の奥にその子を閉じ込めてしまって・・・」

「自分たちの村を助けた子供にする仕打ちじゃねぇな。」

そう言った賢一を横目にあかりは、

「まぁ・・・人は自分が理解できない存在には恐怖を示すからね・・・それに他の子供の身体に悪影響を与えてしまっては仕方ない気もする。それで・・・私たちに何を望むんだい?」

溜息をつきながらあかりが女性に尋ねる。

「その子を解放してあなた達の旅に連れていって欲しいのです。」

「・・・ほう?」

あかりは目を細める。

「族長の娘とは・・・私の事なのですが・・・子供が監禁されているのが可哀想で仕方ない。でも村に置いておいては他の人に迷惑をかけるし皆から迫害される。でも私は族長の娘としてここから離れる訳には行かない。だからせめて少しでも自由になるあなた達の旅路に不躾なお願いである事は承知しています。でもどうか・・・」

女性は二人の前で膝をついて懇願した。

「もちろん良いぜ」

賢一が即答する。

「賢一!君、すぐに即決しない!子供なんていたら足手まといになるかも知れないじゃないか。」

「でも可哀想じゃんか。」

「可哀想って言う感情論で、私たちの旅のリスクを上げるつもりかい?」

あかりが顔を近づけて賢一を糾弾する。

「でも...

正論を言われて、納得はできずとも言い返せない賢一。あかりは、反論できなくなった賢一を少しの間見つめて、その後大きな溜息をつく。そして、

「とりあえず会うだけ会ってみよう。その子と。」

と結論づけたのだった。

 

 

森の中、賢一とあかりはその奥へと歩を進める。

「エリオール大森林って俺らの旅が始まった場所じゃん」

賢一がふと呟く。そう、エルフの村はエリオール大森林にあった。そしてその奥地。エルフ族以外は前人未踏の秘境。彼らが進むのはそんな場所だった。

「最初は気づかなかったけど、ここまでマナに溢れていたとはね。とても興味深い」

あらゆる魔法に長け、マナを自在に操る事ができるあかりの加護は、エリオール大森林の濃厚かつ芳醇なマナをその神経全体で受け止めていた。

「そろそろ女の子が監禁されてる場所だな。」

賢一がそう言った矢先、大きな洞穴が見えてきた。その洞穴には光の柵が張り巡らされていた。

「これは・・・かなり上級の魔法だ。外からは簡単に壊せるけど、内からは簡単には壊せない制限魔法。」

あかりが光の柵をそう評価する。

「何で外からは・・・?」

「うーん・・・さっきの族長の娘とやらが魔法を改竄したんじゃないかな?誰かに助けて欲しくて。・・・賢一、とりあえず中にいるであろう女の子に話しかけて・・・」

「おりゃ!」

あかりが賢一に話を振ったその瞬間、賢一はすでに剣戟を光の柵目掛けて放っていた。

「賢一!?人の話を聞け!なんで君はいつもいつもそうやって即断即決なんだ!?」

賢一の剣戟は光の柵を破壊する。

「それが男ってもんだ」

「何も格好良くないからね!?」

二人が言い合いをする。しかし次の瞬間、

「!!?」

すさまじいマナと力の奔流が二人を貫いた。

「な、なんだ・・・!・これ・・・こんなマナの量・・・初めてだぞ!?」

「マナも力も恐らく賢一と私以上・・・」

途方もない力だった。そしてそのすさまじい程の力を放つ権化が洞穴から出てきた。

「・・・」

二人は言葉を失う。 二人の前には、銀髪、紫紺の瞳の少女が立っていた。

「あれが・・・例のハーフエルフ...

あかりが呟く。マナの総量は自分の10倍以上、純粋な力もおそらく賢一の数倍。二人が本気で戦ってもおそらく手も足も出ないレベルの差。

「・・・」

どうしたものか、と二人が脳内で必死に考えていたら、

「・・・誰?」

少女が口を開いた。

「あなた達は・・・誰?」

聞かれてようやく我に返った賢一が、

「俺は賢一・・・こいつはあかり。旅をしてるんだ・・・」

と恐る恐る答えた。

「き、君の名前は・・・?」

続けてあかりが尋ねる。

「・・・あなた達が・・・賢一とあかり・・・私はサテラ・・・ただのサテラ。」

と少女は笑顔で応えた。

「サテラ・・・良い名前だな」

賢一が更に返す。

「うん。 お母さんがつけてくれたの。」

「良い母ちゃんだな。」

と、 賢一が笑う。すると少女も釣られて笑った。

「サテラ、こんな所で一日を過ごすくらいなら、 私たちと一緒に来ないかい?」

あかりがそんな提案をした。しかしサテラは、首を横に振り

「すごーく嬉しい。でも私にはやらなきゃいけない事があるの。」

「やらなきゃいけない事?でもそれなら何故、そこで監禁されてるフリを?」

そう、サテラは監禁されていた。しかしそれはフリだった。サテラ程の力の持ち主ならば光の柵をいつでも内側から簡単に壊せたはずだからだ。あかりはそれを見抜いていた。故にその質問をしたのだ。

「・・・お母さんの為。」

「・・・なるほど・・・優しいね。」

サテラのたった一言であかりはその思惑を理解する。

「え、どゆ事?」

それが理解できない賢一は、あかりに尋ねるが、

「全く・・・君は無粋だな。もう良いさ、行こう・・・賢一。この子は危険ではないよ。」

と来た道へと足を向ける。

「良いのか?」

「ああ・・・サテラ、君はきっと救世主になるだろうね。」

とサテラに向けてそう言い放つ。

「・・・それが私の生まれた理由だから」

とサテラは自分の使命をしっかり理解しているような口ぶりでそう返した。

「どうか・・・君が間違わないように。私はそれを祈っているよ。」

あかりは、目を閉じて心からの祈りをサテラに捧げた。

「うん、ありがとう。 エキドナ。未来の私をよろしくね」

「・・・?・・・ああ・・・分かったよ。」

あかりは聞きなれない名前を呼んだサテラのその返しに疑問符を浮かべたが、考えても分からない為、それをスルーして笑顔で返した。サテラもそれ以上あかりに対して何か言う事はせず、続けて賢一に向けて、

「賢一・・・スバルをよろしく」

と笑顔でそう言い放つ。

「え、スバル・・・?星の名前か?」

何の事か分からない賢一はそう聞き返すが、サテラはその問いに答える事なくただ離れてく二人を優しく笑顔で見守っていた。そして二人が見えなくなって、 サテラは再び洞穴の中に戻る。

「今度こそ・・・今度こそ・・・」

と悲しそうな瞳で、しかし希望も含んだ輝きで、そう呟いた。

 

 

賢一とあかりの旅は続く。

途中、立ち寄った町で吸血鬼の子供と出会う。人間すらも食べてしまう危険分子として町の人々から隔離されていた。 その子の食欲をあかりの魔法で制限し、その身を解き放ち自由を与えた。その際、その子供により賢一が深手を負った為、 次の町で有名な医者を訪ねた。

どんな傷も治してしまうという凄腕の医者は女性だった。金髪で巨乳であるその医者に治療されながら、賢一が鼻の下を伸ばしていた。

次に立ち寄った村では、奇妙な力を持つという子供を騎士団に取られ、子供の養育費だと騎士団から理不尽な金銭要求に耐える母親を助けた。その騎士団を壊滅させ、子供を母親の元へ返した。その後、騎士団全員がある女性にお金を貢ぐ為に村から金銭を巻き上げていた事が分かり、その女性の元へ。

女性は人を魅了する加護を持っていて、それを制御できていなかった。その加護に魅入られた騎士団が暴走し、村に重税を課して困らせていた。あかりが魔法によりその加護を制御し、事なきを得た。

 

 

そして二人の旅は続き・・・更なる力を得て、知識を得て、そしてその力の威圧によりオド・ラグナを引きずり出す事に成功した。そして二人は全身全霊を賭けて、オド・ラグナに挑み・・・

負けた。

そう・・・負けた。それなりに善戦はした。しかし後一歩、届かなかった。

「あかり・・・悪い・・・弱くて・・・」

血まみれの賢一が途切れそうな声でそう言った。

「大丈夫・・・君は帰れる。元の世界に・・・」

あかりもまたボロボロになった身体を引きずりながら賢一の側に寄る。

「お前は?一緒に帰れないのか・・・?」

「私は・・・」

あかりはその先を言えずに口ごもる。しかし次の瞬間、

「好きだ、あかり」

あかりが言葉に詰まった瞬間だった。賢一がただ一言そう呟く。あかりの瞳から涙が溢れた。そして頬を赤らめて、

「・・・私も、だ・・・ 賢一。私は君が好きだ・・・」

あかりが力を振り絞り、手を伸ばして、賢一の頬を触る。更に力を振り絞る。倒れている賢一の頭をそっと支えて・・・そして・・・ 唇を重ねる。長く、長く唇を重ねる。それは永遠のような時間にも感じられた。

「あかり・・・これを・・・」

唇を離して、賢一は、胸元から黒い蝶の髪飾りを取り出した。

「これは・・・?」

「エリオール大森林の奥地、サテラと会った帰りに取った魔石を埋め込んだ髪飾りだ」

その髪飾りは黒い蝶のフォルムに、羽の模様としてエメラルド色の魔石が埋め込まれたものだった。

「結婚指輪の代わりに作っておいた・・・勇気出なくて渡せなかった・・・」

あかりは髪飾りを受け取ると、

「素敵だね・・・ありがとう・・・」

髪飾りを強く握りしめ、そう感謝の言葉を告げた。そして、

「君は元の世界で、幸せになって欲しい。私は・・・大丈夫だから。」

溢れる涙はそのままに、あかりは笑顔で、言葉を紡ぐ。涙の雫が賢一の顔に落ちる。今にも意識がこと切れそうだ。それを根性で耐えて賢一は、

「俺はお前を救ってみせる。必ずお前を迎えに戻る!必ず!」

と力強く言ったのだった。その決意の言葉を耳にしたあかりは笑顔で、

「ふふ、期待しないで待っておくよ。」

と。もう一度キスをした。最初で最後のキスは血の味がしたけど、それと同時に熱い命の味がした。これが愛の味か、と賢一とあかりは理解し、今までで最も幸せだと思えるような微笑みを見せた。 

そして先に事切れたのは賢一だった。

「おやすみ、賢一。元の世界では幸せに・・・」

動かなくなった賢一を膝に抱え、あかりはそう呟いた。そして、

「オド・ラグナ!私はお前を許さない!私は絶対にお前を滅ぼす。絶対に!!絶対にだ!!世界の果てで!大瀑布の果てで待っていろ!」

この世界のオド ラグナに向けて叫んだ。

「・・・大瀑布?そんなものがどこにあるんですか?」

あかりの叫びに対して、初めてオド ラグナが口を開いた。金色の髪を揺らしながら、オッドアイの瞳を輝かせながら。対してあかりは、

「今から作るのさ。今から行使するこの魔法は禁忌の中の更に禁忌。未来永劫に渡りこの世界を潤いで満たす。 それは水源になり、世界を豊かにする。 水源はあらゆる万物の元だ。」

あかりは指を複雑に合わせ、手印を結ぶ。

「・・・」

「未来で待っていろ。 オド・ラグナ。私と、私の英雄が必ずお前を倒す!!」

口から血が溢れ。肉体が崩れ落ち、それでも尚、あかりは叫んだ。

そして、

「これが水魔法、その極致。ゼロ・ヒューマ」

瞬間、 大気の全てが水に変わる。 雨と呼ぶにはあまりに激しすぎる水の奔流。 まるで小さな箱の中にある世界に、その箱が全て浸る程の水を流し込んだような・・・。

「ゼロ・ヒューマ!」

もう一度同じ魔法を。

「ゼロ・ヒューマ!!」

もう一度。

「ゼロ・ヒューマ!!!」

そのマナが切れても尚、生命力をマナに変え、あかりはゼロ・ヒューマを何度も行使した。すさまじい濁流が生まれ、世界を飲み込んだ。その濁流に呑まれ、暴れる水流に身体を削られ、そして黒髪の少女の命の灯りは消えて・・・

その日、世界は水に沈んだ。そして徐々に時間をかけて水は端に引いていき世界を囲むように水源が生まれた。 その水源は後に大瀑布と呼ばれるようになる。

 

――・・・目が覚めた。

目の前には凄まじい量の水の奔流、 大瀑布が広がっていた。

「・・・」

あかりは自分の手を見る。とても幼い手をしていた。何とか身体を動かし、近くの水溜まりまで移動する。そして水に映った自分の身体を見る。

「・・・」

赤ん坊だった。意識はしっかりある。記憶もある。でも身体が赤ん坊だった。あかりは、この世界で死んで、同じ世界に転生したのだった。

あかりは思った。もっと準備をしなければ。もっと、もっと、もっと、もっと。

ふと、目の前に何かが落ちていた。

「これは・・・」

黒い蝶の髪飾りだった。 賢一がくれた髪飾りだった。

「賢一・・・」

あかりは、小さな手でその髪飾りを拾い、握り締め・・・

「まだ・・・だ・・・オド・ラグナを倒して、賢一の元に・・・」

ふと、賢一とのキスを思い出す。

唇の感触を。

賢一、賢一、賢一、賢一。

賢一賢一賢一賢一賢一賢一賢一賢一賢一賢一賢一賢一賢一。

私の・・・私の!・・・わたしの!私の賢一。

 

それから数年後、 黒白の魔女と呼ばれる存在が有名になる。

曰く、彼女は生まれついての魔女だった。

曰く、彼女は生まれつき全ての魔法を行使できた。

曰く、彼女は幼くして、この世の叡智を手に入れた。

黒い髪、黒い眉、黒いまつ毛。

曰く、彼女は万物を吸い込む暗闇のごとき黒から、漆黒の魔女と呼ばれた。

しかし他方で、透き通るような白い肌、その身に纏う純白の服。それに準え、純白の魔女という異名もあった。

それらが統合され、付いた名が黒白の魔女。

魔女という概念を生んだ、言わば魔女の始祖である。

 

「叡智の書・・・でぇーすか?」

少年がそう質問した。

「あかり先生、 オド ラグナを倒す為にはそれが必要だぁーとでも?

「そうだね、 ヘクトール。それがあれば、より魔導の極致へと・・・オド ラグナに届くはずなんだ・・・」

あかりは文献を漁りながら、そう返事をする。

ヘクトール。あかりが拾った貧しい少年。家族から捨てられ、道端に雑巾のように転がっていた少年を見つけ、あかりが助けた。ヘクトールはあかりを師のように慕い、その後を着いてきた。

「オド・ラグナを倒せば、先生は想い人に会える・・・なぁーるほど。ボクは協力しまぁーすとも」

言葉もロクに知らなかったヘクトールに言葉を教えたのはあかりだった。少し変な訛りを教えたらどうなるか、 と言う興味本位で訛りを加えて教えて、このような喋り方になってしまった。

「ありがとう、ヘクトール。頼むよ。」

 

そしてその更に数年後、彼女は手にした叡智の書の代償により人の理を外れる事になる。

「先生・・・やっぱりダメです。 叡智の書は・・・ボクたちが触れて良いものじゃなかった・・・」

ヘクトールが叫ぶ。あかりは叡智の書と呼ばれるものを手に持ち、その力に呑まれていた。暗闇が彼女を包む。 それは心の深淵に彼女を導き・・・

「・・・ここは・・・」

「君自身の世界だ。」

「私の・・・世界?・・・君は・・・?」

あかりが自分の目の前にいる存在を凝視する。彼女は、自身と同じく透き通るような白い肌だったが、その髪色は真逆の白だった。

「ワタシは君さ。あかり。」

「・・・」

あかりは黙って、怪訝な顔する。

「あべこべ」

そのあかり自身はそう呟いた。

「あべこべ?」

「ワタシは今までの君。君はこれからの君」

と、言いながら呪印を結ぶ。

「火力勝負と行こう。 ワタシ自身・・・ゼロ・ゴーア!」

「何を・・・」

すさまじい爆炎があかりを襲う。あかりも咄嗟に指で印を作り、

「ゼロ・ゴーア!」

と叫ぶ。爆炎と爆炎がぶつかり合い世界は爆ぜた。暗闇に亀裂が走り、割れ、虹色の光に満ちた世界を創り出す。

「何をする!?そんな簡単にゼロを打つな!それは世界の理をも歪みかねない危険な魔法なんだぞ!?」

あかりがあかりに叫ぶ。対するあかりは、

「危険?そんなリスクを気にしているから、オド・ラグナを倒せなかったんじゃないかい?」

「・・・!!」

爆炎が渦を巻き、虹色の世界を揺るがす。その世界を背景に白髪のあかりは、興が乗ったように言葉を紡ぐ。

「リスク、リスク、リスク!甘いんだよ!他者を気にするな、犠牲を許容しろ。君は優しすぎる。だから最愛の人を失う!!」

「・・・」

「自分と!最愛の人と!それ以外は全て些事だ!リスクになり得ない!そんなものを考慮する必要はない!善人ぶるな!魔女が!そんなんだから君は大切なものを失うんだ!」

大声で白髪のあかりが叫ぶ。いや黒髪のあかりが叫ぶ。

「・・・あレ・・・?」

気付けば自分の目の前に立っている「あかり」は黒髪になっていた。そして自分の髪を触る。そして毛先を見る。 その色は白くなっていた。

「・・・え・・・」

黒髪のあかりは言葉を続ける。

「目的の為に手段を選ばない!その他を顧みない!確実に相手を殺す!!闘争本能!それが君には必要だ!!ほら!!私は敵だ!君を殺そうとしてる!私を殺さないと、君は死んでしまう!」

「・・・ワタシは・・・」

走馬灯・・・のように思えた。時が止まっていた。自分だけが動ける。そして、ふと本が落ちる音がした。あかりが音のした方を振り向いた。

「あの本は確か・・・ 賢一が落とした本・・・」

本を拾う。タイトルは「黒蝶の願い」 と言うタイトルだった。本を開く。そこには・・・

「愛」と書かれていた。愛愛愛愛愛。

愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛

愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛・・・夥しい程の愛。何と強欲なのか。どれだけ愛を欲するのか。あまりに強欲。貪欲。醜くて汚れた感情。強欲、強欲。

「ああ・・・愛が欲しい。」

白い髪を揺らしながら、あかりがそう呟いた。そして次の瞬間、時間は動き出し、目の前には再びゼロ・ゴーアを撃とうとする黒髪のあかり。

「・・・」

白髪のあかりは、涙を流しながら・・・

「さよなら、黒白の魔女。」

と小さく呟いた。そして白く透き通った指で印を結び、

「ゼロ・フーラ」

と呟いた。瞬間、この世に切れぬモノはないと思える程の風の刃が無数に吹き荒れ、黒髪のあかりごと虹色の世界を飲み込んだ。黒髪の魔女は、全身を刻まれる痛みに対して笑顔を浮かべながら、

「誕生おめでとう。強欲の魔女」

と言い放ち、そのまま刃の嵐に呑まれ塵となった。

「先生! 先生!!」

ヘクトールが叫ぶ。ヘクトールの眼前には真っ白な髪、そして真っ黒な服を纏った「魔女」 が佇んでいた。

「・・・やぁ、ヘクトール。そんなに叫んでどうしたんだい?ワタシは大丈夫だよ?」

白髪の魔女は笑顔を浮かべ、ヘクトールにそう告げる。

「叡智の書の所有権は手に入れた。目的は達成だよ。家に戻ろう、 ヘクトール」

あかりがそう言いながら歩きだす。しかしヘクトールはそんな彼女に対して、

「誰だ・・・お前は・・・?」

とそう尋ねた。

「・・・?あかりだよ?何を言ってるんだい?君は・・・」

「先生じゃない・・・いや先生だけど・・・何かが違う・・・」

「・・・寝ぼけているのかい?ヘクトール」

「せ、先生を返せ!」

「やれやれ・・・」

白髪の魔女が指で印を結ぶ。そして、

「ゼロ・フーラ」

次の瞬間、風刃の嵐が辺り一面を塵にした。

「・・・惜しい人材を失った。まぁ仕方ないか。犠牲は付きものだ。ましてや相手はオド・ラグナ。千や万の犠牲などでは届かないだろう」

白髪の魔女はそう言い残し、その場を後にする。その後、崩れた瓦礫の中からヘクトールが顔を出す。

「先生・・・先生・・・必ず・・・!必ずボクがあなたを取り戻して見せる!!」

 

 

曰く、黒白の魔女は叡智の書を手に入れた。

曰く、その知識の結晶は彼女を魔導の極致に至らせた。その反動により、本来の真名を失い、髪は純白となった。

彼女は、白くなった髪色に合わせ、服も白から黒へと変えた。

大瀑布にその住居を構え、日々研究に没頭した。そしてオド ラグナに対抗する為に人工的な加護を作る事に成功した。しかしその加護は暴走し、あまりにも強大になり、選ばれた存在以外には適合しない加護となった。後にそれらは魔女因子と呼ばれる事になる。

更に時は流れ、彼女は世間から強欲の魔女と呼ばれる事になる。失った名の代わりに自身をエキドナと名付け、その名を世界に轟かせる事になる。

そして更に時は流れ・・・

 

「エキドナ、お前の魂を今から体と分離させ、 魂の回廊に封じ込める。」

「それで、どうするつもりだい?ボルカニカ。そんな事をして、嫉妬の魔女に勝てるとでも?」

「運命は変えられる。サテラを封印し、力も残っていない故、この術式が成功するかも分からぬ。しかしこれに賭けるしかあるまい。」

ボルカニカがエキドナの胸に手を当てる。光がエキドナを包み、そして心と体が分かれたような感覚がエキドナを襲い、そして・・

「失敗だ・・・」

ボルカニカが呟く。失敗したのか、と結果だけを知りエキドナは溜息を吐く。落胆はない。どちらでも良かった。 目の前には閉じていく扉。おそらくその先に魂の回廊があるのだろう。

「もうどうでも良い・・・どうでも良いんだ。」

閉じ行く扉を見つめながら、エキドナは心の中でそう呟いた・。・・しかしふと自身の心の片隅に暗闇の中、鈍く輝くモノを見つけた。

それは、エキドナがかつて自分で殺した何か。暖かい輝き。温もり。希望の灯り。

「・・・これは・・・ふふ・・・久しぶりだね。 黒白の魔女。」

と呟いた。

「ワタシは・・・君が嫌いだよ。その何でも救おうっていう偽善が。犠牲を顧みるその優しさが。でも・・・それが間違っている訳ではないんだと今では思うよ。」

そう言いながら、その光り輝く何かをエキドナは記憶の回廊へと投げた。その輝きが吸い込まれるように扉の奥に入っていき、扉は完全に閉まった。

エキドナは暗闇に取り残された。何もない。何も見えない。匂わない。聴こえない。

「ああ・・・本当に強欲だ・・・」

暗闇の中、悲しげな声が聞こえた。

「エキドナ・・・死んだか・・・」

横たわる白髪の女性を見つめながらヘクトールが呟いた。

「先生を返せ・・・己の!!ボクの・・・あかり先生を!!」

ヘクトールの目に涙が浮かぶ。涙を溢れさせながら、エキドナの体を抱きかかえる。そしてヘクトールはふと、何かに気づいた。

「なんだ・・・魂が・・・これは・・・先生・・・?」

ヘクトールはエキドナの心の中にあったはずの何かがなくなっている事に気づいた。

その何かの行く先は・・・。

 

そして数百年後。

「はぁやれやれ。こんな仮初の世界で日々を過ごしても何も面白くもないな。 墓穴の試練・・・自分で定めたルールとは言え・・・面倒だな。」

彼女は、そう呟く。

「試練って言っても誰も来ないし・・・」

と誰かが自分の墓穴に入る感覚を捉えた。

「へぇ、久しぶりの来客だ。 面白いね。」

彼女は、その久しぶりの来客に胸を躍らせる。そして、呼び掛ける。

「なるほど、それが君の強欲の根幹。 興味深い事だね。」

と。そしてその客を自分の元に呼び寄せる。

「・・・うお・・・! 何だ・・ ここは・ ・」

その来客は、いきなり広い草原に移動させられ、ただただ驚いていた。後ろ姿を見る限り、男性で、しかも若い。.

「からかうような歓迎になってしまったのは申し訳ない。ボクとしてはそんなつもりはなかったんだが、どうにもこの身は強欲なものでね。知りたいという欲求から逃れることができないんだ」

と言いながらその少年に歩み寄る。少年は振り返る。

「・・・!!・・・」

少年を見て驚く。似ていた・・・彼に。

 

賢一・・・!?

いや、そんな事は・・・。でも似てる。同じ遺伝子だ。若い頃にそっくりで・・・

これは・・・そんな・・・じゃあ・・・彼の子供・・・

 

少年もいきなり真っ白な髪の女性が登場したせいで、言葉を失っていた。

「・・・」

「これは失礼。ボクとしたことが自己紹介の一つもしていなかったね。重ね重ねの非礼、 申し訳ない。人と接するのが久しぶりなものだから調子が戻らないようだ」

喋りながら彼女は思考する。

 

・・・似ている。彼に。愛しい彼に。

幸せに・・・なったのだね。賢一。

 

心の中で微笑む。 そしてこの瞬間、 彼女は心を閉ざす。 彼の子供が存在している・・・つまり彼が自分を迎えに来る事はない。元より期待はしていない。それでももしかしたら、もしかしたら・・・。

目の前の少年に対しては感情を無にしなればならない。でないと嫉妬してしまう。自分の愛した男の妻、つまり少年の母親に対して。感情を持っていては、きっと正気を保てない。そう思い、彼女は・・・強欲の魔女は。

その瞬間から感情を無にした。

そして無にした感情で、精一杯の笑顔を作り、

「ボクの名前はエキドナ。 強欲の魔女と名乗った方が、通りがいいかな?

と目の前の少年に対し、 自己紹介をしたのだった。

 

そしてその後、何度か少年と逢瀬をし、会話する機会があった。

 

「勘違いしないで欲しいんだが、君のその結論はあくまで君が出したものだよ。ボクがしたことは、君が出す結論のほんのささやかな後押しさ。そうやって自分の出した言葉の結論を、その責任の所在を他者に求めるというのはさすがに感心しない。感心しないし、それを引き受けるほどボクもお人好しではない」

 

「お前の態度は全部、真剣味がない、上っ面なもんなんだ」

 

「――――(やめてくれ。そんなつもりはないんだ。)

 

「喜ぶことも、怒ったときすら、お前の感情表現は幼稚で薄っぺらい。今だって、激昂するどころか拗ねた顔をしただけだ。懐が大きいとか、そんな問題じゃねぇ。お前のその態度は・・・これまでの態度は、おかしい。俺は、 軽々しくて受け入れやすい、そんなお前を、付き合いやすい奴だなんて思ってたけど・・・ 」

 

「――――— (お願いだ。彼の顔で、彼に似た声で、ワタシにそんな言葉をかけないでくれ)

 

「実際には違う。お前は―――お前は、他人の感情が理解できない奴なんだ」

 

そうじゃ・・・ないんだ。理解できる。理解できるからこそワタシはそうしなければ正気を保っていられないんだ。

 

「ここも、怒っていい場面なんだぜ」

 

「・・・そうか、ここでボクは声を荒げて、罵声を浴びせるべきなのか。なるほど、勉強になったよ。次の機会があったとしたら、そうさせてもらうとしようか」

 

震えそうな声を必死で隠す。悲しみで胸が張り裂けそうだ。心の涙が溢れる。本当は声を荒げたかった。ふざけるな、と言いたかった。彼は私のもので、君は私の子供になるはずで!

何の為に傷ついた?何の為に世界を救おうとした?

賢一との旅の思い出が蘇る。何故忘れられなかった?こんな記憶。何百年も魔女として生きて、人間としての領域を外れて、たくさんの犠牲を出して、それでも叶えられずに。

ただ、ただあの口づけが忘れられない。熱い命の味。乾いてしまった唇を潤す口づけを。

もう一度、もう一度、もう一度!

あの潤いが欲しい!愛が欲しい!何て強欲な事だろう。分かっている。何と浅ましい醜い執念なのだろう。でも欲しい。彼の愛が、彼の全てが、彼の残した息子さえも。全てが欲しい。

・・・ああ、サテラ・・・君はここまでの嫉妬の炎に苦しんでいたのか・・・君の気持ちが今なら分かる・・・分かるよ、サテラ。

 

「エキドナちゃん・・・かな、悲しい顔してる?してる、ね?」

色欲の魔女カーミラがそうエキドナに質問した。

「どうしてだい?ワタシが悲しむ理由なんて何もない。君たちはここにいて、ワタシはそれなりに外とも触れ合う機会がある。何も、必要ない」

「それで、いいの?わ、私たち、は・・・た、魂だけだ、から、本当の私たちじゃ、な、ないでしょ?私たちは・・・ん、もう、死んじゃってるから。誰、もエキドナちゃんとは、本当、に一緒にはいられないんだよ・・・?」

「自己愛の塊である君が、友人とはいえワタシの心配とは珍しい。・・・君も、彼の騒がしさやお人好しさに感化されてしまったのかな?」

「もう・・・知らない・・・ エキドナ、ちゃんの・・・バカ」

 

「対価・・・ああ、それもあったね。苦難が予想される彼への餞別と言ったら、君たちはワタシを笑うかな?」

「――全然」

「へえ、思ったよりワタシも見直されていたもの・・・」

「だって、あんたが対価もらわないで助太刀だけするとか、ありえないもん」

「非常に君たちに対して、色々と話し合わなきゃいけない案件が多いとワタシは思ったよ。本当に、君たちはワタシをどう思っているんだか。・・・ただ、まぁ」

「――まったく、間違っちゃいないけどね?」

「ほら、すっごい嫉妬してる。サテラが見たら笑われるわよ?」

憤怒の魔女ミネルヴァがそう返す。

「・・・ワタシは・・・嫉妬なん・・て」

片目から涙が流れた。

「あ、あれ・・・?なんだ?これ。汗かな・・・。」

「ほんっとに・・・あんたも厄介な性格ね。」

ミネルヴァがエキドナを抱きしめた。

「わぶっ・・・」

ミネルヴァの豊満な胸にエキドナの顔が埋まる。そして、

「今、そういう強がりとか良いから」

 

「・・・」

他の魔女の口元が緩む。

「エキドナ、ちゃんって本当に・・・バカ」

「嫉妬くらいすれば良いじゃないか。魔女である前に女さね」

「ドナ、嫉妬かー?可哀相になー」

「とりあえずぅ、ドナドナもやけ食いして辛い事はぁ、忘れたら良いですよぉ」

各々が自分なりの励ましをし、最後にミネルヴァが、

「好きな人の息子を前に、よく耐えたわね。エキドナ。お疲れ様。」

とエキドナを抱きしめたままそう呟いた。直後、白髪の魔女は、子供のように泣き出した。

 

愛は減らない。忘れた頃にやってくる。残酷な事だね。本当に。

ワタシのお茶を飲んだ彼から漂うワタシの残り香にワタシの愛しき人が気づいた時、彼の中で少しでも私が残っている事を願う。少しでも愛しいあの人の心にさざ波が起こるように。

心の中で、流れる涙を指で拭きながら、震える声で魔女は嗤う。その愛の行く先は誰も知り得ない。

ワタシは・・・

全てが欲しい。

コツン・・・と・・・本の落ちる音がした。それはいつの日か、彼が落とした本の音。

 

全ての始まりの音。 


After Story

 

星が消えた日から

 

不安はあった。どんな不安かと聞かれると到底表現できないものだが、それは確かに不安だった。このまま見送って良いのか、着いて行かなくて良いのか・・・とそんな事を思いながら菜月菜穂子は、玄関の扉を開けて今まさに出かけようとする息子を見送った。

母親として何ができる訳でもない。止めるのもおかしいし、着いて行ったとしても息子に邪見にされるだけだ。そしてこの原因不明の不安も自身の勘違いであろうと心の中で完結させ、 菜穂子はそれ以上それについて考える事をやめた。

息子を見送った後、菜穂子は彼が帰って来た時、何かおいしいものでも作っておいてあげよう、とそう考え台所の下棚から袋麺を取り出し、調理を始める。母親に寂しい思いをさせた腹いせにグリーンピースを少し多めに入れて。

そして完成したそのラーメンを彼女の息子が食べる機会はついぞ訪れなかった。

 

「ぁぁあああああ!!昴ぅ・・・!」

部屋に悲哀に満ちた嗚咽が響き渡る。

「お、落ち着け! 母さん。あいつは大丈夫・・・大丈夫だから!」

絶叫する菜穂子を諌めるのは、菜月賢一。コンビニに行ったきり行方不明になってしまった息子の父親。

泣き崩れる妻を抱いて、必死にその背中をさする。

「スバルは大丈夫だ。 すぐに帰ってくる」

根拠はないが、賢一はそう信じるしかなかった。

「あの子はきっともうこの世界に・・・私、分かるの。あの子はこの世界にいない!」

「・・・いやそんなの分かんねぇだろ!?あいつの死体が見つかった訳でもないってのに」

そう菜穂子を慰めつつも、賢一も同じ不安に襲われていた。息子がこの世界にすでにいないという不安に。

死んだのではない。もっと別の・・・そう別の。

「とりあえず近所のコンビニの監視カメラを調べてみます。」

そう言ったのは賢一が呼んだ警察官だった。息子の昴がいなくなってから2日。すぐに賢一は警察 に通報し、事情を話した。

「お願いします。」

賢一は玄関を出る警官に一礼する。その後、菜穂子が落ち着くまで必死で「大丈夫」と励ましの言 葉を繰り返し疲労困憊に。

しかしその夜は、賢一も菜穂子も全くと言って良い程に眠れなかった。

 

そして次の日、コンビニの監視カメラの映像を見る事ができた。

映像の中で、コンビニを出た昴は一端足を止める。そして目をゴシゴシしながら・ とその一瞬、 映像が乱れた。

「あれ、おかしいな。こんな事初めてだ」

コンビニの店長がそう呟く。映像が乱れる事なんて今までなかった。監視カメラは常にそのレンズ が映す映像を映し続けてきたはずだった。しかし事実として、映像が乱れ・・・そして映像が乱れ た後、昴の姿はなくなっていた。

「これじゃどっちの方向に行ったかも分からないですね。 何てタイミングで乱れるんだ」

警官が「どうしようもないな」と付け加えて溜息をついた。

「・・・」

賢一は心の中に違和感を覚えていた。説明できない違和感。何故か懐かしい違和感。必死で映像を検証する警官を後に、スタッフルームを出た賢一はコンビニの入り口・・・ちょうど映像の中の昴がコンビニを出て立ち止まった場所に立つ。

「・・・俺は・・・何かを忘れてる・・・」

思い出せない。何か大切な事を忘れている。誰かを忘れている。誰だろう?

まだ学生だった頃、よく同じ時を過ごした誰か。すっぽり抜け落ちた何か。

「・・・」

後ろから女性が出てくる。コンビニで雑誌を買って出てきた女性。袋をもらわずそのまま本を手に持ち、賢一の後ろを横切った。賢一はそれに気づかず、抜けた記憶を思い出すため苦悶の表情をしながら後ずさりし、その女性とぶつかった。

「あ、すみません」

その瞬間、手に持っていた雑誌を女性が落とす。

「・・・!」

ドサッという音がして、本は地面に落ちた。その瞬間、心の中に同じ音が響いた。

それは本が落ちる音。

『―――・・・ 賢一・・・』

女性の声が賢一の脳内に響いた。

「!!?」

聞いた事のない声。でも賢一はその声を知っていた。

「・・・誰だ」

『本は素晴らしい、どんな知識も与えてくれる』

「なんだ・・・!?」

『私はできる事なら、この世の全てを知りたいよ。賢一 』

「誰だ」

脳内に響く声は大きくなり、

『賢一』

そして・・・スバルと朝の格闘を繰り広げていた時の事を思い出す。

『俺の初恋はな、スバル。 蝶の髪飾りがよく似合う黒髪の女の子だったのさ』

自身の言葉が反響する。

「初恋・・・誰だ? 誰の事だ。俺は誰を好きになっていた・・・?」

知らない過去が流れ込む。

『君を愛している』

自分は倒れていて、目の前には黒髪の女性がボロボロの姿で...

『おやすみ、 賢一。 元の世界では幸せに・・・』

・・・そして・・・

『俺がお前を救ってみせる』

最後に自分の声が聞こえた。 そして記憶が溢れ出し・・・

 

家に帰ると、菜穂子が意気消沈した様子でリビングに横たわっていた。台所も散らかっていて、家事の一切を放棄していた。その光景から菜穂子の心がどれだけボロボロであるかが理解できる。

「・・・」

賢一はかける言葉が見つからず、無言で菜穂子の横に座る。

「・・・」

そのまま少し沈黙が続く。時計の針が秒を刻む音だけがリビングに鳴り響く。そして最初に口を開いて沈黙を破ったのは、菜穂子だった。

「私たちはあの子と向き合ってなかったのかも知れない」

· · ·

「あの子が学校に行かなくなった時、ちゃんと学校に行きなさいって叱るべきだったのかな。ちゃ んと向き合うべきだったのかな。あの時、私は怒れなかった。昴が頑張ってるって私知ってたから・・・頑張った上で、学校に行けないなら行かなくて良いと思ってた」

「・・・」

「それが・・・ダメだったのかなぁ・・・ 目の前の事から逃げちゃダメだ、お母さんとお父さんは味方だよって言わなきゃいけなかったのかな」

それが正しいのかは分からない。登校拒否を起こした息子とどう接すれば良いか分からない。それは何も特別な悩みではないのかも知れない。同じような状況の子供がいれば誰でも同じ条件なのかも知れない。その子はその子なりに頑張った上で、登校拒否を起こしている。ならばこれ以上どう頑張れと言うのか。だから菜月菜穂子は 「頑張らなくて良い」とそういう決断をした。ただ「生きて くれているだけで良い」と。でも、そうじゃない。 そうではない。「頑張ろう」と背中を押すべきだったのか。もしくは「頑張ろう」と手を繋いで、立てなくなってしまった息子を引っ張り上げる べきだったのか。何かして欲しいから産んだんじゃない。何かをしてあげたいから産んだのだ。 一 緒に手を取り、彼の悩みに立ち向かうべきだったのか。

「私はどうすれば良かったのかなぁ」

菜穂子の頬を涙が伝う。絶望に染まった涙はそのまま床に落ち、絨毯を濡らす。

「どこで間違ったんだろう」

と自身の過去を嘆く。息子と向き合ったつもりでいた過去の自分を恨む。「賢一さんの息子だから」とどこかでそう思っていた。「だからきっと大丈夫」と。知らない間に、自分が愛した理想の男性像を息子に押し付けていた。

「大丈夫」

悲しみに暮れる菜穂子の耳に、ふと力強い一言が届いた。

「大丈夫。 昴は俺が取り戻す。」

「・・・どう・・・やって・・?」

「心当たりがある。」

賢一が立ち上がる。

「大丈夫。心配すんなよ。少し時間かかるかも知れないけど必ず帰ってくる」

そう言いながら菜穂子を抱きしめ、そして玄関に向かう。

「・・・」

「俺さ、高校の時にすげぇ好きになった人がいるんだよ。」

上着を着ながら、 賢一は話す。

「そいつとは色んな冒険してさ。楽しい事も苦しい事も分かち合った。」

「・・・」

心配そうに玄関で靴を履く夫を見つめる菜穂子。

「俺、そいつに命を助けられたんだよ。」

「・・・命の恩人?」

「ああ。そいつが助けてくれたから、俺は今君と此処にいる。そして昴が生まれた。」

真剣な眼差しでかつ優しい瞳で、賢一は菜穂子を見つめる。

「それじゃあ、その人に感謝しなきゃね。それに・・・あなたがそんなに好きになった人なのなら・・・きっと素敵な人なんでしょうねぇ・・・」

「ああ、すげぇ素敵なヤツだ。」

自信満々に答える賢一。それを見た菜穂子が優しく微笑んだ。

「それじゃ行ってくる。」

「・・・うん。いってらっしゃい。」

菜穂子は今にも泣きだしそうな震える声で、それでも精一杯の作り笑いで賢一を見送った。賢一も 菜穂子が無理をして笑っている事に気づいていたが、それを指摘する事なくただただ見送りの言葉 を受け止めた。

 

家を出て賢一が向かったのは、昴が姿を消したコンビニだった。そして昴が消える瞬間に立ってい た場所と同じ位置に立ち、

「・・・オド・ラグナ」

とそう呟いた。

深夜だからか、周りに人はいない。賢一は、大きく息を吸い、

「オド!!!ラグナァァァァ!!!」

腹の底から叫んだ。すると世界が歪み、次の瞬間に・・・

「そんなに叫ばなくても最初の呼びかけで気づいていたよ。」

辺りの景色はなくなり白い世界が広がり、目の前に紫紺の瞳をした少女がぽつんと立っていた。

「思い出したのかい?過去の記憶を。」

少女は優しい笑顔をその顔に讃えたまま、賢一にそう尋ねる。

「・・・」

「ちゃんと記憶は消したはずなんだけどなぁ・・・まさか思い出すとは。人間っていうのは面白い 生き物だね。」

「あかりは?」

人間の不思議さが楽しくて怪しげに笑う少女に対して、賢一はたった一言だけそう問うた。

「・・・気になるかい?君はもう既婚者だろう?」

「お前が記憶消したせいで、この世で愛すべき女が2人になっちまっただろうが。どう責任取ってくれるんだ」

「それ私の責任かなぁ?」

少女は少し困った顔をしながら、

「ではお詫びに、私にできる事があれば望みを3つ叶えよう」

「あの世界に俺を連れてけ」

間髪入れず賢一はそう言う。

「OK。叶えよう。残り2つは?」

「あかりの事だ。あいつはまだあの世界にいるのか? 生きているのか?」

少女は少し黙り、「うーん」 と困ったようなうなり声をあげた後に、

「詳しくは教えられない。ただしヒントを与えよう。」

「・・・?」

「強欲の魔女を探すと良い。」

「なんだそりゃ・・・」

賢一は、聞いた事もない単語に疑問符を浮かべたが、少女はそれ以上、その話をするつもりはない ようで賢一から目を逸らし、

「これ以上はダメ。私の権限外。最後の1つは?」

賢一は少しの間、考えて・・

俺に、かつての加護をよこせ」

「剣聖の加護はもう無理だ。あれは今別のヤツにある。あ、そうだ。剣神の加護をあげるよ」

 思いついたように人差し指をピンと立て、指先を賢一に向ける。

「剣聖の加護には劣るけど、強いよ。世界で2番目くらいにはなれるんじゃないかな?」

「・・・まぁ良いや。昴とあかりを取り戻せればそれで良い。」

「あかりちゃんを取り戻してどうするの? 君には奥さんもいる。その人との子供も。」

「取り戻してから考える。」

「罪作りな男だねぇ」

少女はそう言いながら、賢一に指先を向ける。

「まぁ頑張ってよ。言っておくけど帰り道は、向こうの世界のオド・ラグナを倒す事。それ以外にないからね? 後、時間軸はかなりズレると思うからそれも気を付けて。」

指先から光が溢れ、 賢一を包んで・・・

「俺が過去に失ったもの、俺が今失ったもの。全部取り戻してやる。」

そう心に誓う。誰にでもない。 自分の胸に誓う。

 

「・・・・!!」

菜穂子は自分の愛する夫が、この世界から消えた事に気づく。菜穂子に特殊な能力は何もない。それでも家族の存在くらいは何となく分かる。根拠などない。それでも分かる。

「・・・二人とも・・・無事に・・・戻ってきて・・・!」

菜月菜穂子は願う事しかできない。二人が戻ってきて、今度こそちゃんと昴と、愛しい我が子と向き合えるように。

 

太陽が照り付けていた。

熱い。 異常に暑い。

「なんだ・・・?」

手の平には砂がついていた。賢一が起き上がり当たりを見回すと、一面に砂が広がっていた。

「・・・砂漠・・・か?」

と次の瞬間、

「うわぁー! 人間っス! こんなとこに人間がいるっス!」

陽気で高い声が賢一の耳に響いた。

「あ?」

声の方角を振り返ると、そこにはポニーテール、いやスコーピオンテールの髪型の女性が賢一を見ながら笑顔で立っていた。

「お前・・・誰だ?」

「あーしっスか?あーしはシャウラって言うっスよー」

座り込んでいた賢一は立ち上がり、砂をはたく。

「なんでこんな砂漠にお前みたいな女の子が一人で・・・」

「何でって言われても・・・ここがあーしの住処っスから・・・」

「住処・・・あ・・・」

シャウラに言われて、賢一は初めて、シャウラの後ろに大きな塔がある事に気づいた。

「何だぁ?これ・・・」

賢一が驚いていると、

「オイオイ、オメェ。何こんなとこで突っ立ってんだよ、オメェ」

声と同時に剣戟が飛んでくる。

「うお!!あっぶね!?」

賢一はギリギリでその刃を避ける。

「お前!!いきなり何すんだ!!」

賢一が距離を取り、すぐに臨戦態勢を取る。

「ああ?・・・オメェ、今、オレの剣を避けやがったっか?避けれる速度じゃねぇだろうが。」

そこには赤髪の男が立っていた。手にはボロボロの木で作られた剣。しかしそんなボロボロの剣でもそのひと振りで世界を変えてしまえる程のとてつもないエネルギーを感じる。

「いやギリギリだったけど、かろうじて見えたぞ?」

賢一が何の気なしにそう返す。元剣聖として、賢一はその五感をこの世界に戻って来た瞬間に取り戻していた。

「・・・ああ? 何なんだ、オメェ・・・」

そう言われ、賢一は臨戦態勢を解き、胸を張って、自信満々に叫んだ。

「俺か?俺はナツキケンイチ・・・」

それは、かつて共に冒険した愛しき恋人を思っての名乗りだった。 かつて呼ばれた剣聖と賢者。今の自分は剣聖ではない。では何を名乗る? 愛しき彼女が受けた誉れある称号。

「天下不滅の大賢者だぜ!!」

砂漠に賢一の声が響き渡った。

「・・・あ・・・?」

赤髪の男は、怪訝な顔をしてそう呟き、

「ほ、惚れたっス・・・」

スコーピオンテイルのシャウラは、目を輝かせ、恋する乙女のごとく頬を赤くして、そう呟いた。

「さぁて、自己紹介も済んだ事だし? ちょっとお前らに聞きたい事あるんだわ。」

「ああ?何でダチでもねぇオメェにオレが何かを教えてやらなきゃなんねぇんだ?」

赤髪の男が頭に血筋を浮かべて、明らかにイラついたような顔で賢一に言葉を投げる。対して賢一は、

「そうか。そりゃあそうだわな。」

そして、賢一が再び臨戦態勢を取る。

「昨日の敵は今日の友。ボコボコにブチのめしたら、もう俺ら友達だよな?」

と不敵に笑う。それを見て赤髪の男は、

「は!面白れぇ。やってみろってんだ。」

同じく不敵に嗤い、木剣を構える。

「ああ・・・格好良いっス・・・もうゾッコンっス・・・」

シャウラが身体をくねくねさせながら呟く。そして・・・

次の瞬間、世界を揺るがす程の衝撃と共に二人の男が衝突し・・・

 

Fin